生い立ちや、学歴など、好みも含めて、人の選んだ道にはそれぞれカラーがあるから、それはみんな正しいし、
それぞれ違っていいもの。たとえ国が違っても、認め合って、生きていくということには変わりありません。しかし日本人同士にはない苦労はもちろんあります。ここではコミュニケーションに焦点を当てご紹介したいと思います。
言葉の壁
付き合う人の条件として、気遣い、優しさ、器、などがありますが、中身の面では外国人も日本人も同じ目線です。でも、これだけは一筋縄ではいかない問題を含んでいる。朝はパンしか食べないことと、パスタが嫌い、音楽はヘビメタで?
そんなことも重要じゃない。言葉。ただそれです。
日本人は会話をするとき、だいたいこう言いたいだろうなっていうニュアンスが、お互いあって、瞬間的になんとなくではあるが通じ合える。
ニュアンスが伝わりにくい外国人
外国人はニュアンスが理解できることの方が少ないです。日本に長く居ても、これは礼儀に反するとか、奥ゆかしさなんてのは、外国人からすると冷たいとか、はっきりしてないという風に映ってしまうから。外国人とのコミュニケーションでは、イエスorノーをはっきり伝えるし、ストレート過ぎる言葉も多々あります。それって失礼なんじゃないの?っていちいち受けとる側が解釈を変えたり、100%の理解をしてもらうために、自ら説明を加える必要性が出てくるのです。
どちらかの国の言語がぺらぺらに話せれば、意思疎通は問題なくこなせるはずです。でも自分が相手の言語がそんなに話せない、また彼が日本語をあまり理解できないとなると、その都度の説明が必要で、大変だなと心が折れたり、伝わらない苛立ちに遭遇することとなります。
一緒に日本のテレビを見れるか
以前、株主優待で有名な桐谷さんが出ているバラエティー番組をやっていました。それを見て、だいたいの人は笑うと思います。なんであんなに必死になっているんだろうって。でも外国人の彼には、株主優待という言葉を説明するところから始まります。
そしてなぜ、あんなに一生懸命自転車で走り回っているのかということに関して、笑ってくれるかどうかはまた別問題です。笑いのツボも少し違うかもしれないので。
そんなとき、隣で大笑いできますか?心の底から楽しめますか?また、お互い興味を持つ分野は違うと割り切れればいいのでしょうか?
一つ言えるのは、お互い一緒に見れる番組だけを選んで見るということ。やはり、こちらも楽しんでテレビを見たいので、過度な説明が必要になる、言葉の多い番組はお互いの不満の元になりがちです。
わからないとはっきり言えない外国人
日本人にとって話を聞くことは小さい時からしつけられていますが、外国人はコミュニケーションの概念として、話を聞く姿勢が日本人より適当です。
わかっていなくても頷いたり、笑ってごまかしたり、わからないとはっきり言うのが意外と苦手な彼らは、こちらが一生懸命説明してコミュニケーションとれていると感じていても、話が通じていないこともあります。そういうとき、とってもがっかりしてしまうのが日本人なのです。
日本人は話しているときに、わかってますよというコミュニケーション=相づち、要約して話す、などが必要なのですが、彼らはあんまりコミュニケーションおいて重要じゃないので、話しているときにわかってるのかなという不安がつきまとうこともあります。
でも言葉だけじゃない、一緒にいたいからできること
コミュニケーションにおいての不満や苛立ちを解消するには、どちらかの言語を興味深く勉強すること意外ありえません。行動や態度における信頼関係を築くことも大事ですが、やはり思っていることを伝え合えるということも信頼につながる大事な方法です。そのために、毎週1時間でもいいので、一緒にカフェでも家でも勉強する時間を持つこと。それを互いに応援すること。こういった姿勢が必要になってきます。あと話せる話題を絶やさないこと。日本のニュースに関心を持つこと、相手が好きな番組にも付き合えそうなら付き合い、楽しむこと。そうすれば不安は少しずつ薄れていきますし、互いに教え合うことで良くなっていく問題だと思います。