親は、子供にはいつまでも純粋で正直であってほしいと願うもの。
わが子がウソをついたと知ったら・・・、それは本当に悲しくつらいこと。
でも、1度もウソをついたことのない人間なんていないでしょう。
ここでは、子供がウソをついた時にそう接すればいいのか、考えてみましょう。
子供はウソをつくもの
初々しい新生児の頃から愛情を注ぎ続け、子供が言葉を話し始めた時の喜びは、例えようもありません。
どんどんおしゃべりが上手になって、子供との会話に幸せを感じるでしょう。
でも、そんな中、ちょっと気になることも。
子供の話が、事実と違うことがある・・・
これってウソ?!
実は、子供はウソをつくものなのです。
早い子では3歳くらいからウソをつき始め、6歳までにはほぼ100%の子供がウソをつくようになっている、という調査結果があります。
では、子供がウソをついた時にはどうすれば良いのでしょう?
それは本当にウソなのか
親は子供に、純粋で穢れなくあってほしいと願うもの。
その子供がウソをついたと知ったら、親はショックを受けるに違いありません。
でもちょっと待って。
それは本当にウソなのでしょうか?
小さい子供は、毎日自分の周りから様々なモノ、コトを吸収しています(インプット)。
子供の頭の中は、覚えたばかりのたくさんのいろ~んなこと、現実のこともお話の中のこともごちゃ混ぜになっています。
それを、一生懸命、覚えた言葉で相手に伝えようとします(アウトプット)。
こうして語彙が増え、おしゃべりが上手になって行くのです。
小さい子供のウソには、そういう空想や想像の話も現実のようにお話してしまうから、というものも少なくありません。
それを、事実とは違うからといちいちヒステリックに反応していたら、子供はおしゃべりするのが怖くなってしまいます。本人は悪気もなく頭の中のことを話しているに過ぎないのですから。
もし、子供が想像の中の話をしていたら、大人もそれに乗っかって、その世界観をどんどん広げてあげましょう。きっと想像力が豊かになってくれます。
もう少し大きなってからのウソ
もう少し大きくなってくると、様々な知恵もついてきて、「怒られたくないから」と、自分にとって都合の悪いことを隠すため、誤魔化すためのウソもつくようになってきます。
確かに、それは良い事ではないでしょう。
でも、子供がそんなウソを繰り返すようなら、毎度毎度注意するのではなく、子供が本当のことを言いにくくなってしまうほど叱り過ぎていないか、自分を顧みることも必要かもしれません。
大人だって、そんなウソをつきたくなる気持ち、わかりますよね。
でも、ウソはいけないと伝えたい。
そんな時は「ウソついたでしょ!」と問い詰めるのではなく、「ふ~ん、それで?」など、その話を掘り下げ、具体的な質問を細かくしてみましょう。答えながら話のつじつまが合わなくなってきて、子供自身が気付くことも。
思春期のウソ
思春期になって来ると、親子の距離も開いてくるでしょう。
そんな頃のウソ。
もう知恵も知識もついてきて、演技(?)もうまくなってきて、完全に騙されてしまうこともあるかもしれません。
小さい頃のウソとは違い、様々な問題が絡んでくることも多い思春期のウソ。
そもそも、思春期は、それまで守られていた殻から外へ出て自立していくために、自我を確立させようともがいている時。
そんな時のウソは、必死に自分を守るためについていることが多いです。
そんなウソを問い詰めたら、子供にとっては自分を守るために張ったバリアの中に、土足で踏み込んで来られるような感覚に陥り、強い拒否を示し、ますます頑なになってしまいます。
この位の年齢になると、善悪の判断もできます。ウソが悪いこともわかっています。罪悪感も感じたりします。
余程問題のあるウソでなければ、問い詰めたりせず、そっとしておく方が良いかもしれません。
過敏にならず大らかに見守って
小さなウソも許してもらえずにいつも問い詰められ、「私はウソつきだ、悪い人間なんだ」という自己評価になるのか。
ウソだとはわかっていたけれど見逃して、「私はウソをついたこともある、間違ったことをしたけれど、それでもこんなに愛してもらった、愛される価値のある人間なんだ」という自己評価になるか。
ウソは良くない。
その通りです。
ただ、世の中、ウソがあることで潤滑に廻ることがあるのも事実。
ウソにも種類があります。
それがどんなウソなのか。問い詰めなければいけない程のウソなのか。
それを見極める目も必要になってきます。
「ウソ」と過敏にならずに、心にゆとりをもって長い目で子供を見ていきたいものです。