妊娠中の母親教室で、あまり話題にならないのが、こどもが病気になったらどうしたらいいかの対処法。
沐浴の方法やベビーマッサージの方法なども、もちろん大切で知っておきたいことですが、赤ちゃんの健康については、あまり話題になりません。
私が妊娠中に読んでいた、出産の雑誌には、赤ちゃんは免疫があるから大丈夫みたいな記述が踊っていたと思います。
熱がでた、食欲がない、ぐったりしている・・・・・・心配になることは、山のように出てくるのが子育て。
私は、赤ちゃんの健康についてあまり、わからないまま出産を迎えてしまい、お母さんになりました。
障害がわかるまで
初めての子育てがスタートし、育児書を頼りに子育てをスタートすることになりました。
赤ちゃんは、一日のほとんどを寝ていますという、育児書の記述とは程遠く、昼間はそこそこおとなしい赤ちゃんでしたが、夜になると抱っこをしていないと、大きな声で泣くという日々が始まりました。
育児書には、そんなこと書いてないと思うことがたくさんあり、いらいらすることも多かったです。
自分がちゃんとやれていないから、こんな状態なんだとへこんだことも多かったです。
イライラがピークに達した頃、私はイライラの原因は育児書にあると気がついて、びりびりに破いて捨てました。
私だって、ほかの人と違うのに、赤ちゃんだっていろんな子がいるはずということに、やっと気がつくことができました。
乳児検診でも発達が遅めといわれることがありましたが、心配なことは、心配だと告げて、個人差があるから大丈夫という保健師さんの言葉を聞きながら子育てをしていきました。
障害がわかったとき
小児科の診察室で、主治医になる先生に障害の説明を受けました。
診察は3分っていうのが病院の世界の常識ですが、このときは30分ぐらい診察室にいたでしょうか。
丁寧に説明をありました。
ただ、その内容については、私の心にも頭にもしっかり受け止めることはできていませんでした。
頭の中が真っ白になって、その場にいることで精一杯でした。
帰ってきてからも、泣くこともなく 淡々と過ごしていました。
人は、ショックの度合いが大きすぎると、泣いたりすることすら忘れてしまうもんだと、そのとき初めて知りました。
障害がわかってから
障害がわかる前と、わかってからの こどもの様子は特に変わりはありませんでした。
よく笑い、よく食べ、よく泣き、さすがに夜鳴きはなくなっていて、子育ての大変さが急激に増えたわけではありませんでした。
半年ぐらいたったある日
無性に、こどもの障害について知りたくなりました。
告知を受けたとき、ほぼ内容については理解できていなかったので、よくわかっていないことに不安を覚えました。
家庭の医学にも3行ぐらいの説明しかなく、よくわからなかったのです。
そこで、もう一度、病院に行くことを決めました。
ふたたび診察室へ
障害についてよくわからないので、もう一度説明して欲しいと私が言うと、ちょっと不思議そうな顔をして、迷惑そうな表情にも見える主治医の先生がいました。
隣にいた、看護師さんが「ちゃんと理解されているのかと思っていました」といわれました。
周りからみた、半年前の私は、しっかりこどもの事を受け止めて、しっかり障害についても理解ができていると思われるぐらい普通にしていたようです。
もう一度、今度は質問をしながら、説明を受けました。
将来について不安があるが、誰に相談したらいいのかと質問したときに、忘れられない一言を聞くことになりました。
医者は病気が治すことが仕事で、それ以外のことについては仕事の範囲外です。
サポートがあれば・・・・・
このお話は、約10年ほど前の出来事ですので、今の病院事情は大きく変わっていると思います。
障害者自立支援法で、障害者が自分で意思決定をすることも増えてきました。
ただ、こどもの障害がわかるときの親のショックの大きさや、周りのサポートは決してあるとはいえません。
妊娠のときに、もし、こういう事態が起こってしまったときに、相談できる行政システムがあったら、何も理解できないまま診察室を後にする人がへっていくかもしれませんね。